カントによる永久平和の設立 3つの条件
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第1確定条項 - 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
第2確定条項 - 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。
第3確定条項 - 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。
1. 各国家における市民的体制は共和的でなければいけない 国民が王に盲目的にしたがう国ではなく、自分たちで自分たちを統治する国でなくてはならない。
カントは「民主主義的でなければならない」とは述べていない。共和主義(統治方法についての概念)と民主主義(統治者の人数についての概念)は本質的に異なる概念であり、民主主義的ではない(統治者の数は少ない)が共和主義的である(行政権と立法権が分離している)社会は十分にありうる 2. 国際法は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである まずはそれぞれの国が市民の自由を保障した共和国になり、つぎにそれらの国々が合意のうえに上位の国家連合をつくる ルソーは社会を作りたくないけど作らざるを得ないというスタンスなので似てる 外国人は交際を「試みる」ことはできる。でもその成功は保障されないし、保障されなくてよい。
3. 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない
自然は、賢明にも諸民族を分離し、それぞれの国家の意志が、国際法を理由づけに用いながら、そのじつ策略と力によって諸民族を自分の下に統合しようとするのを防いでいるが、しかし自然は他方ではまた、互いの利己心を通じて諸民族を結合するのであって、実際世界市民法の概念だけでは、暴力や戦争に対して、諸民族の安全は保障されなかったであろう。商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力(手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦争を防止するように強いられている、と考えるのである。
複数の民族に分かれ、複数の国家意志のもとに置かれた人々は、「利己心」を通じてしか結合できない。「商業精神」こそが各国家を国家連合の設立へと誘う。永遠平和は商業なしにはありえない。この補説と第三条項をあわせて読むと、カントの訪問権のアイデアが、「利己心」「商業精神」と不可分なものだったことがわかる。東浩紀.icon
これを「観光」と解釈するのかtkgshn.icon*2 観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。それがカントが言いたかったことではないか。東浩紀.icon
カントは訪問の権利と客人の権利を区別している。訪問の権利が保証するのは、相手国に行く権利だけであり、友人として歓迎されることは含まない。これはまさに、観光客のありかたをそのまま記述したかのような規定である。旅行代理店が観光客に保障するのは、相手国に行く権利だけであり、友人として歓迎されることではない。観光が観光であるかぎり、観光客の身の安全は保障されるけれど、保障されるのはそこまでである。実際には、観光客として訪れたさきで住民の非難にあい不愉快な思いをするかもしれない。友好は訪問=観光なしには存在しえないが、訪問=観光が必ずしも友好を生みだすとはかぎらない